惜別のことば



2012年12月7日、東京・青山葬儀所にて営まれた森光子の本葬には、芸能界はもとより、スポーツ界、政界、経済界など、各界から著名人を含む関係者が約1000人、一般献花者が約1300人、合計約2300人が参列しました。

この<惜別のことば>では、生前親交のあった方々からの弔辞の一部をご紹介します。

本葬に参列した主な著名人

赤木春恵、秋元康、朝丘雪路、浅丘ルリ子、有森也実、石井ふく子、石田純一、市村正親、五木ひろし、井上芳雄、うつみ宮土理、王貞治、王理恵、小倉智昭、加藤和也、北大路欣也、北野武、木村佳乃、京本政樹、草笛光子、工藤静香、熊谷真実、小松政夫、西郷輝彦、榊原郁恵、ザ・ドリフターズ、沢田亜矢子、篠山紀信、ジェームス三木、笑福亭鶴瓶、関口宏、大地真央、谷村新司、段田安則、仲間由紀恵、長山藍子、西田ひかる、野際陽子、野茂英雄、萩本欽一、浜木綿子、林家三平、坂東三津五郎、左とん平、富司純子、藤田朋子、松原智恵子、三浦友和、三田佳子、みのもんた、森喜朗、八千草薫、山本陽子、米倉斉加年、米倉涼子、和田アキ子、近藤真彦、少年隊、内海光司、SMAP、TOKIO、KinKi Kids、V6、嵐、今井翼、NEWS、関ジャニ∞、KAT-TUN、Hey!Say!JUMP、Kis-My-Ft2(玉森裕太除く)、A.B.C-Z、佐野瑞樹、屋良朝幸、中山優馬ら総勢69人。

 

王 貞治


「森光子さん、今、目の前で微笑んでいる森さんの笑顔に、また会えるかと楽しみにしていました。けれど、今日、このような形でお別れしないといけないこと、悔しいです。その一言に尽きます。お元気になられて、舞台の上で凛としたお姿を観るのを心待ちにしていたのがかなわず残念でありません。

誰もがお会いすると森光子ファンになってしまう。私もそのうちの1人。穏やかな顔の中には、役者として常にトップに立ち続けるための日頃の努力、健康維持、想像を超える熱いものがあったのでしょう。日頃から私はアスリートとおっしゃっていたのは、さもありだと思います。でんぐり返りのこだわりは、役者魂の表れでした。みんながああなりたいという役者。森さんの生き様でどれだけ多くの人が勇気づけられたか計り知れない。森さんの姿は日本の多くの人の心の中にいつまでも生き続けていくでしょう。全力疾走の一生でしたが、ゆっくりお休み下さい」

 

黒柳 徹子


「森光子さん。50年ぐらいの間、優しくしていただきました。生放送のなか、切り抜けてきましたね。そのころの森さんは、『コピー機』と言われるぐらいセリフの覚えが早い方でした。NHKの専属だった私が、フリーになるのでマネージャーを探していたとき、ご自分のマネージャーを紹介して下さったのも森さんでした。長いこと同じ事務所でした。舞台でも、どのぐらいお世話になったか分かりません。

森さんは本当にユーモアのある方でした。50年近く前、芸術座で『縮図』という徳田秋声の芝居をご一緒しました。菊田(一夫)先生の脚色でした。私も森さんも、東北の芸者でした。
ある日、出る前に、森さんの部屋で私は、アメリカのイサドラ・ダンカンというダンサーは、首に長いスカーフを巻いて、オープンカーに乗ってたらスカーフが車輪に巻き込まれて死んだそうです、と言ったら、森さんは『かわいそうね』と言って本番になりました。
雪の河原で、お金持ちの坊ちゃんに捨てられた森さんが、うずくまって泣いていて、私が助け起こすシーンでした。私が冗談めかして『なしてこんなとこさ寝てんだい』と言って抱き起こすのです。私が抱き起こしたら、森さんが小さい声で『イサドラ・ダンカン、イサドラ・ダンカン』とおっしゃいました。気がついたら、私は森さんが首に巻いてらっしゃる薄いスカーフを下駄で踏んで持ち上げたので、森さんの首が絞まってたんです。その瞬間的なユーモアに、私は自分が悪いのに、感動していました。あなたはそういう方でした。

私がニューヨークに1年くらい留学と称して休養に行った時、ある日、森さんからお手紙が来ました。体に似合わない大きな字で『お小遣い困っていませんか。いつでも言ってね』と……、私は、泣きました。

『放浪記』の最後の頃に出させていただいたとき、『徹子ちゃん、好きなようにやってね。何もとらわれないでね。そうすれば私も変われるかもしれないから』。2000回になろうという時、まだ変わろうとしていらした森光子さん。

『あなたとお食事に行きたいから、リハビリしてます』
これが森さんから最後にいただいたメッセージでした。私は楽しみにしていました。森さんは必ず、また舞台に戻っていらっしゃる……。私はそう信じていました。残念です。森さんが一番残念だと思っていらっしゃるでしょうね。
ですから、いまも『放浪記』の最後のシーンで、机に寄りかかって寝てらしゃるのだと思っていますね。

森光子さん、女学校の上級生と下級生のような関係のまま、50年以上お世話になりました。こんなつらいお別れは、ありません。森さんの女優魂は、私たち後から行く者を導いて下さるものと信じて生きていきます。本当にありがとうございました」

※そのほか、秋山敏行東京都副知事が弔辞を読み上げ、舞台出演のために会場に駆けつけることができなかった奈良岡朋子から寄せられた録音メッセージが紹介されました

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