司会

1978年 山川静夫アナと紅白の司会者に
1984第35回紅白歌合戦の司会を鈴木健二アナと

森光子が、初めて司会を担当したのは、「放浪記」が大ヒットした翌年の紅白歌合戦での紅組司会でした。
長期療養から復帰した大阪時代に、一流喜劇人たちを相手に丁々発止、アドリブを交えた応酬をしてきた光子は、司会者としても才能を発揮。紅白歌合戦以降も、様々な番組で司会を務めました。

1974年 3時のあなた須田哲夫アナと司会

フジテレビのワイドショー「3時のあなた」に、司会者として登場したのは1974年、53歳の時でした。
当時、女優が社会の様々な問題に自分の言葉でコメントしたり、インタビューしたりする例はあまりなく、光子自身も「知識の浅さが露呈するのでは」と心配したそうですが、光子の真摯な人柄と、明るく歯切れの良い、時にユーモアを交えた司会ぶりは好評を博し、「3時のあなた」の司会は14年も続きました。
光子と一緒に司会を担当したアナウンサー須田哲夫は、当時を振り返り、「相手が大スターでもスタッフでも、敬意をもって同じように接する。そんな森さんだからこそ心を開いたゲストも多い」と言います。そのなかでも「印象深い」と挙げたのが、昭和の歌姫・美空ひばりと、ロッキード事件で実刑判決を受けた田中角栄元首相です。

美空ひばりは幼くしてデビューし日本中を魅了した天才歌手ですが、私生活では母親や2人の弟を相次いで亡くした孤独のスターでした。

1974年初回ゲストは中村勘三郎と美空ひばり

光子を“芸能界の母”と慕っていた美空ひばりは「3時のあなた」の第1回放送のゲストとして登場。1988年の最終回の収録にも病を押して駆けつけ、「みだれ髪」を披露しました。光子が痩せて小さくなったひばりを抱きしめると、ひばりは徐々に声を詰まらせ、「歌っていていろんなことが走馬灯のように浮かんだ」と話しました。二人の深い絆を目の当たりにした視聴者からは、大きな反響が寄せられました。

1984年7月 3時のあなた野間脩平アナと司会

1984年の夏に登場した田中角栄元首相も、光子の人間力に共感したゲストの一人です。
1976年に発覚した“戦後最大の汚職”といわれたロッキード事件で訴追されていた角栄は、1983年、懲役4年の実刑判決を受け即日控訴。以来、マスコミの取材をシャットアウトしていました。そんな時、角栄へのインタビューが実現したのです。
会場に指定されたのは軽井沢プリンスホテル。現場に異様な緊張感が漂うなか、日本中の注目を集めたインタビューが始まりました。

光子はまず家族についての話を切り出し、続いて恋愛の話、戦時中の話へとインタビューを進めていきました。
角栄は「戦時中、出兵先で肺炎になり帰ってきた」、「いよいよだめかと思ったが、下の妹が死んだ…妹が背負って逝ったんだと…」、「人間の力ではどうにもできない大きな力が存在する、それが神様だろうと思う」と時折目頭を押さえながら、光子の質問に答えていきました。
1時間の予定だったインタビューが3時間後に終了した時、角栄は光子に「取材を受けるとだいたいが、嫌がることや、怒らせることをわざと聞いてくるが、あなたは、実に誠実で真摯で、本当に感激した」と言って頭を下げました。

光子は著書でこの時のことに触れ、「お金だけで皆さんがこの方についていくのではない、と分かったような気がしたものです」と書いています。
その後も、ホテルニュージャパンの火災、日航機の羽田沖墜落事故、御巣鷹山の墜落事故など、大きな事件が光子の担当した日に起こり、あわただしく資料を読みながらテレビ局に駆けつけ、放送が終わると劇場入りする多忙な日々が続きました。

そして14年、自分の言葉で話したいと始めたワイドショーの仕事は、多くの人々に光子の人間としての魅力を伝えることとなり、各界に広がる多彩な人脈の礎となりました。

司会を担当した主な番組

  • 「紅白歌合戦」紅組司会(NHK)1962年/1973年/1984年
  • 「輝く!レコード大賞」(TBS)1972年~1976年
  • 「思い出のメロディー」(NHK)1976年~1978年/1983年
  • 「3時のあなた」(CX)1974年~1988年
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